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『鮫島、最後の十五日』は気合や根性論だけではない、絆や心の強さを学べる

『鮫島、最後の十五日』という漫画をご存じでしょうか?

表面的な内容を書き表すと、相撲という国技を題材に、力士である主人公の心と力士としての成長を角界の世界を映しながら描き上げた作品です。

ですが、こちらのの漫画は実に奥深いものがあります。

まず、設定としてですが、こちらの漫画は同シリーズの最終作に位置図けられるものであり、それまでの作品の中で、主人公が成長している状態となっています。本作では割愛となりますが、それまでのバックボーンとして主人公(鮫島鯉太郎 ※以後、鯉太郎)が18歳からの角界との関わりのストーリーがあります。彼を取り巻く、部屋兄弟、同期力士も同じくストーリーがあり、それぞれの成長が描かれていて、キャラクター設定がしっかりしていますので、描写がなくとも納得のいく成長状態で登場となります。

 

小兵と言われる力士、鯉太郎はその体躯では、到底無理とされている幕内力士になります。しかし、土俵での勝負はその体格差ゆえに、毎回の勝負が苦戦です。鯉太郎は決して、勝負を捨てず相撲に挑み続けます。
それは、相撲自体に己の全て掛けて、命を削るような様です。相撲での勝負は、鯉太郎にとって命を削るものに他ならないようなそんな覚悟が読み手を惹きつけているように思われます。

いわゆるスポ魂とカテゴライズされる、それらの漫画と一線を引いている部分は、主人公“鮫島鯉太郎”の前に現れる数々のライバルや登場人物にフォーカスがあたり、バックボーンが濃いキャラクターが次々と現れる点、家族観や人にとっての存在意義を問われるようなエピソードが随所にストーリーのポイントとしてちりばめられた点に他なりません。

人間模様がリアルに描写されているので、陳腐な表現ではない重みある気持ちが、それぞれの登場人物にも滲み出ています。読み手自身に問いかけをしながら主人公は主人公なりの答えを体現していくような、前面には出すぎない、滲み出るメッセージに胸を熱くさせられました。

『なぜ、折れない気持ちをもてるのか?』『このまま戦う事が果たして正しいのか?』主人公=強い。その方程式が強引にあてはめられているわけではなく、きちんとそれまでの道筋が作中の中で描かれています。

スーパーマンでも超能力者でもない人間独りが自身の能力を高め、それを土俵で爆発させる。

実際の相撲をこの漫画を通して観たくなった人もいるのではないでしょうか?

鯉太郎の勝負を見る度、土俵上での勝負を通して、読み手側に強さとは?己とは?を毎度、毎度問われるような、ヒリヒリとした感覚を覚えました。

作中、土俵上での描写は迫力満点です。力士の体以外にも、その手が大きく見える。その四股が神々しく見える。こういった心理的に響く表現が非常に的を得ていて、迫力を増して感じることが出来る作画になってます。

漫画タイトルにもあるように、大相撲場所においての15日間を描いた作品ですので、1日目、2日目といった具合に規律良く話が展開していくので、色濃い勝負が展開される中、非常にインプットがされやすい構成ですので、一気読みでもじっくりゆっくり読んでも良い作品ではないでしょうか。

 

 

鯉太郎は幕内でも下位の力士ですので、“三役(関脇・大関・横綱)”のような上位力士とは勝ち進みつつ場所の終盤での割り当てにて、その勝負が予定とされています。先は計算せず、目先1番の勝負に己を全て掛けるような姿勢で、ボロボロになりながらも次の勝負を迎えていく鯉太郎。命を掛けた鯉太郎の相撲は、どこまで届くのでしょうか?

横綱は神様、相撲に愛されなかった力士は神様まで、届くことが出来るのか?

鯉太郎の最後の15日間、その1日1日に目から目を逸らすことが出来ません。

 

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