【野球】マウンドに上がった巨人・増田大内野手 元とび職人の苦労人…大学中退も夢追い独立Lへ


増田 大輝(ますだ だいき、1993年7月29日 - )は、徳島県徳島市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。読売ジャイアンツ所属。 小松島高校では野球部主将を務めた。3年時の夏の県大会では投手として全試合完投、35.1回22K8失点の好成績を残すが準決勝で徳島商業に敗れた。
15キロバイト (1,582 語) - 2020年8月6日 (木) 15:00



(出典 pbs.twimg.com)


巨人が酷い大敗した日は内野手を救援登板したのですね…
しかし、その増田選手は鳶職など野球経験が特になかったのですね…
また勝利に頑張ってください…

1 ひかり ★ :2020/08/07(金) 12:08:45.76

 ◇セ・リーグ 巨人0―11阪神(2020年8月6日 甲子園)

 巨人は6日、阪神に0―11で大敗し、連勝は2で止まった。原辰徳監督(62)は1死無走者から野手の増田大輝内野手(27)を救援登板させ、増田大は打者2人を抑えた。巨人では2リーグ制以降、野手登録の選手が登板するのは史上初めて。

《増田大という男》

 忘れられない言葉がある。「いい記事をつくっていただき、ありがとうございました」。増田大が胸に秘める走塁論を明かしてくれて書けた原稿。感謝するのはこちらだろう。お礼を言われた時はうれしかった。

 律義な性格は苦労を積んできたから。近大に進学するも2年時に中退。帰郷すると野球の道を諦めてとび職に就いた。「このままでいいのか」とテスト入団した四国IL・徳島を経て、22歳だった15年の育成ドラフトで巨人入り。野球に集中するため、妻子を残して入寮した。17年の支配下登録後も単身生活を続け、週に1度届く優香夫人の手料理入り冷凍保存容器が支えだ。

 1軍出場のためなら何でもやった。本職は内野ながら外野の練習を始め、昨年は原監督から有事に備えた捕手起用の意向を伝えられると「できます」と即答したという。背番号は今季から「0」。10年に37歳で急逝した木村拓也氏がかつてつけた番号だ。捕手で緊急起用した原監督の、「スーパーサブの番号」という思いが込められている。(神田 佑)

スポニチ

https://news.yahoo.co.jp/articles/44eaaffe29bde163a7a85138c95ea78d4ede746f


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